クチコミについて

食べログを巡るクチコミ偽装問題(てか嘘、やらせ問題)以来、あっちもそうだ、こっちにも同じようなことが。と世間が、かまびすしい(喧しい/囂しい)。

偽装する人たちに最大に問題点があることは承知。その上で言うならば。これはクチコミが過剰評価されていることにも問題の根があります。過剰な権威を持ったというか、マーケティング的ポジションや機能が肥大化し過ぎたというか。

クチコミ=(信用に足るべき善意の)情報などと必要以上の過大な価値評価を受けているから、「クチコミを信じていったのに」というようなユーザーや、悪たれ的な罵詈雑言を書き込む冷静さを欠くユーザー、「クチコミで一つ儲けてやれ」というようなよからぬ業者、マッチポンプ的な業者が蔓延るのです。

口コミは情報などではありません。単なる噂です。あまたある物事の判断基準のうちの一つ、材料のone of themに過ぎないことを自覚すべきですし、社会も、その程度のものと認識を改めるべきです。占いでもなんでもそうですが、悪い情報も良い情報もどちらも同じように信じたり疑ったりすればよいのです。ネットに散在する自分以外の人間の感想は、すべて客観データであり、最後は自分の判断が責任の最終ゲートであることを認識すべきです。

100人が100人ともまずいと書いていても、あなたにとっては美味いお店かもしれない。その逆もまた真なり。まずい・うまい/安い・高い(コストパフォーマンの問題)/いい店・悪い店を決めるのは、最終判断を下すのは、他でもないあなた自身なのです。

昔から「さくら」なんて行為は普通にあったわけです。抗菌ブームと肌抵抗力の低下の関連付けではないですが、社会が健全化を推進するあまり、人間の公衆における抵抗力というか、嘘を嘘を見抜く力というか、判断力と決断力の低下(ジャッジを他人に委ねる、自分で決められない)が露呈してきたのではないか。という側面も見逃してはいけないと思うのであります。

ただし、時代とともに、さくら的行為が巧妙になり、明らかな詐欺行為に抵触するのは大問題だと認識しています。

しかし。しかしです。情報量が増え、処理能力向上が叫ばれ、効率化が求められた結果の今回の騒動ではないかと思います。一見便利に思えるネット掲示板(での評価公表)。私たちはもっと進化し、あるいは退行し、アナログの力(デジタルに頼りすぎない)というものを再度見つめ直すことも必要なのではないでしょうか。


ちなみに昨日のランチは神保町にある「神田天丼家」。今日のランチは湯島の「Cucina Italiana HARU (クチーナイタリアーナ ハル)」でした。

両店とも食べログには賛否両論書かれています。同意できる部分もありますが、できない部分もあります。

「ハル」は大変私好みの美味しいお店です。2度目です。これからも足が向きそうな良店。俺の場合は、何度も通えばお店の洒落た雰囲気にも慣れてくるかも。「神田天丼家(旧いもや)」は昔は好きでしたが、久しぶりに行ってみると(年齢のせいか)味付けの辛さが気になりました。もっと甘いたれが私の好みです。ただ、ごま油がしつこくないのがいい。こってりごまごましている味付けは嫌いなので。ただお店の人は文句なく好き。味付け同様さっぱりしていて、気持ちがよいのです。


いもや時代からのファンです。が、久しぶりに行ってみると(年齢のせいか)味付けの辛さが気になりました。もっと甘いたれが私の好みです。たれが辛めで、ごま油がしつこくないのが、ここの持ち味。お店の人は文句なく好き。味付け同様さっぱりしていて、気持ちがよいのです。

「ハル」は大変私好みの美味しいお店です。2度目です。これからも足が向きそうな良店。俺の場合は、何度も通えばお店の洒落た雰囲気にも慣れてくるかも。