理想という罠

今朝の「あさイチ」は「誰か教えて!子育てのしかた~今注目のどならない子育て~」でした。

 

その中でもっとも気になったのは、頑張り屋のお母さんが苦しんでいるという現状です。理想の母親像に押しつぶされそうになる女性が増えているというのです。その理由には氾濫している育児情報、「子育てで自己実現」という思考が考えられるとのことでした。

 

詳細は該当ページで確認していただくとして、前から感じていたことととダブることがあるので書きます。それは「理想の罠」です。

 

まず俺の場合、「理想を持って、それに向かって努力しましょう(理想を持ってないとダメなんだよ)」という考え方がそもそも好きではありません。理想や夢、目標を持っていなくとも、全然いいじゃないか。理想とか夢とか言う言葉って、たちが悪いよ。

 

また、人間は十人十色だと思っています。人と違う自分でいいじゃない。というのが人生ポリシーの一つです。誰かに影響を受けて、その人自身や、その人の生き方・暮らし方・過ごし方に憧れるのもわかりますが、そのスタイルと全く同じじゃなくても、それは自分を許してあげないとだめです。

 

同じように、今の自分を認めてあげないといけません。失敗した自分、ダメな自分、理想と違っちゃってきている自分、憧れの人とは違う自分。巷の常識とは違ってきちゃってる自分。

 

社会的動物である人は、誰しもハッピーに暮らす権利があるわけで、他人に迷惑をかけない限り、その権利は十分に行使されるべきです。今の自分を認めない=落胆する。酷い場合、絶望するというのは、反社会的行為です。反ハッピー的行為です。今の自分を認めて楽しむことは、成長を拒否することでもなければ、努力を惜しむことでもありません。

 

子育てだけじゃありません。人生自体がそうです。多くの人と関わって生きていくのですから、なかなか自分の思い通りになんてならないものです。それがデフォルト(標準仕様、通常時の状態)です。

 

なので、何かにつけてくよくよ悩むのはあまり良い時間の過ごし方とは言えません。時間がもったいないし。たかだか100年くらいしか生きられないというのに。

 

必要なのは柔軟性とタフさです。ものごとを柔軟に考えましょう。「この道しかないんだ!」とか「もうお終いだ」と決めつけず、柔軟に軌道修正を行いましょう。朝令暮改大いに結構。今朝の理想と今晩の理想が変わってきてもいいじゃないか。(やさしさは柔軟性の中に。賢さはタフさの中に包括されると信じています)

 

傷つくたびに自分を認めてタフになっていきましょう。擦り傷なんて日常茶判事です。たまに骨折、大怪我するかもしれませんが、人生の交通事故で命まで取られるようなことは、めったに起こりません。

 

みんな、どこかはダメな部分・ダメな過去をもっているダメ人間なんだから、ちっちゃなことは気にすんな。おっきなことも、命までは取られないから気にすんな。そんな気持ちでいっぱいです。面影ラッキーホールというバンドのCDアルバム。これの帯に、みうらじゅんが書いた推薦文を俺は心に刻んでいますよ。

 

「ダメじゃん」と言ってしまえばそれまでのダメな男とダメな女の東京。でもダメじゃない奴っていったい誰なんだ