サイトに掲載の「概要」より
寺山修司(1935~1983)が去ってから30年、戯曲の再演や映画上映など多くの関連活動がなされ、新しい世代を中心とした寺山ファンは、今も増え続 けています。また、教科書にその作品が掲載されるなど、寺山文学は10代の思春期の感性に、時代を越えて語り続けており、その作品の普遍性が新たな読者を 獲得していくのです。
寺山修司は、18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。その後、「俳句」や「短歌」の定型の枠を乗り超えるように詩作を開始。歌謡 曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げました。30歳を前後する1965年から1968年頃にかけては、世田谷区下馬に移り住み、演劇実験室
「天井棧敷」を設立します。その後は、10代から20代にかけての創作活動の基盤であった俳句や短歌から抜け出し、長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活 動を交えながら、演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していきました。
近年、これまで語られてきた、寺山修司の文学的成長過程の定説を覆す、 新たな資料の発見が続いています。展示資料には高校時代の貴重な書簡や、中学時代の幻の文芸誌「白鳥」も含まれています。本展では、没後30年の年に、彼 の創作活動の原点ともいうべき青春時代をご紹介し、《ことばのひと―寺山修司》を再検証します。
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ようやく行って来ました。「帰ってきた寺山修司@世田谷文学館」。少なからず影響を受けた身としては、こんなに近くで開催されていると聞いては行かずばどうするな気持ちでした。
寺山の享年は47歳。それと同じ年齢になった今、またこうして、寺山に触れて、かぶれて見るのも、また一興だと思っています。かぶれるだけじゃなく、寺山をこじらせてみるのも、これまた面白そうです。
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