黒門亭2部
柳家圭花:「芋俵」
林家うん平:「小言念仏」
柳家甚語楼:「お見立て」
古今亭志ん陽:「粗忽の使者」
今日は大好きな志ん陽師の「粗忽の使者」だったので、他の素敵な会を見送って湯島に。やっぱ楽しかった。
圭花さんは「芋俵」。初めて観ました。顔や雰囲気が、よく言えば柳家三三師、悪く言えば林家たこ平さんに似ている。声は大きいし、張りはあるし、滑舌もいいし、声も通るし、つっかえないし、(お!これは掘り出し物かな?)と思ってしまいました。何度も聴いてみたい俺期待の前座さん、見っけ!
うん平師匠は「小言念仏」。
甚語楼師は「お見立て」。一度観たかったんですよ甚語楼師。巧いし、面白かったわぁ「お見立て」。甚語楼師は杢兵衛さんのような田舎者、朴訥な人がはまり役だと思いました。他の噺もいろいろと聴いてみたい。機会を探します。
お見立ての後は御目当ての志ん陽師。志ん陽師の「粗忽の使者」。たまごの会で見て以来の虜です。100%という感じじゃなかったけど、笑いました。楽しみました。9/28 (土)「古今亭志ん陽の会~源覚寺寄席~」にも行くぞ!
ちなみに黒門亭の掛け物がっこれまでの「今川焼」から「守破離(しゅはり)」に変わっていた。
「今川焼」=志ん生師匠の『火焔太鼓』のマクラ。骨董屋で額を買って、よく見ると『今川焼』と書いてあった、ってアレ。故古今亭志ん五師匠のおかみさんの書。おかみさんは篠崎芳陽の名前を持つ書道家。詳しくはこちら
「守破離(しゅはり)」の意味=まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。(ウィキペディアより)
家元(談志師匠)の言う「型破り」と同じことですね多分。
コメントをお書きください