友だちの弟さんが「大駱駝艦」の一員と知ったときは、なんかわくわくした。「奥山ばらば」という一員だと知ったときは、驚いた。そんな縁で、振鋳・演出・美術:奥山ばらば「磔(ハリツケ)」を鑑賞してきました。
なんだかちっともわらなかったけれども、最前席だったのでお尻や腰が痛かったけれども、忘れることなど無理な90分ではあった。
昔のテレビ朝日の深夜番組で「ウソップランド」というのがあった。(1983年10月26日から1986年4月16日までテレビ朝日で放送された、コント・グループ怪物ランドの深夜バラエティ番組)。その中で赤星昇一郎演じる子泣きジジィが、街のあちこちに現われ、「子ぉ泣きジジィじゃっ!… (間) …夢見るぞ!」という決め台詞を言う・決めるというコーナーがあった。俺はその「…夢見るぞ!」を思い出した。
終演後、一緒に観た仲間も口々に「夢に観そう」と言っていたのがおかしかった。みな、同じ感想だったのかと。
巧く感想を書くことができないほど難解で、客にわかり悪い表現、演劇らしい演劇、暗黒舞踏と謳われた「これがあの、大駱駝艦なのか」としか思わざるを得ない、簡便に思う事あたわずな、舞台だった。
終演後、わざわざ挨拶に来てくれたばらばさん。「大柄にして繊細、ナイーブな熱血漢」という紹介文そのままの好青年であった。
理解はできないが、また観たくなる。不思議な引力と反作用を併せ持った「磔」であった。わかりやすいものがすべて是ではないのだな。わからないけど、なんか良い。みんなちがって、みんないい(みすず)、みたいな感覚?ちがうか。ちがうよな。とにかく、観てない者、観た俺の理解を補完、補完は無理だな、補助するために公演広告より、紹介文を一部抜粋して終わりとします。
大股開きで柱に縛られた姿。
強要された無防備と肉体の開帳。
その拘束体には、追い詰められた者のあらゆる情念が交錯し飽和していたはずだ。
視られざるを得ない肉体は正直であったに違いない。
遂に意思を剥奪され脱力してゆくカラダは、ゆっくりと「完成体」へと向かっていく。
そして我々は強要を超え自ら赴き磔体となる。
肉体が肉体であることに相応しい姿がそこに見つかるはずだ。
祝意と呪念が離反し渾然とする肉体が。
前にも後ろにもツンのめる尖った肉体が見つかるに違いない。
(奥山ばらば氏の公演広告より、紹介文を一部抜粋)