春雨や雷太落語会@ミュージックテイト

春雨や雷太落語会@ミュージックテイト

春雨や雷太:「噺家と幽霊」
柳家喜多八:小噺「お日さんの宿~雷弁当~落武者」⇒「七度狐」
-仲入り-
春雨や雷太:「宿屋の仇討」
春雨や雷太:踊り「奴さん」

この日の落語会も楽しみにしていたんですよ。ええ。なぜってね…コトの起こりを少しだけ垣間見て、その日と接点があったもんですからね。こういう縁って大切にするの俺は。

以前、テイトで喜多八師匠の独演会があった。俺も観ていた聴いていた。そこに現れたのが雷太さん。それが今日の日のオファー(?)につながっていたのだ(ろうか?)。俺としては(ははぁん。稽古のお願いに上がったのだな。喜多八師匠に何の噺を教わろうというんだ雷太さんは。夏の噺だろうから「鰻の幇間」かな。いやそれとも「やかんなめ」?)と踏んでいたのだが…。

その会がハネた後、打ち上げで喜多八師匠と呑んだ際、「(ドサクサに紛れて)二人会の約束を取り付けた」と枕で雷太さん。ところが「やっぱ俺はいいから」ってんで、春雨や雷太落語会+ゲスト喜多八(1席)ってカタチになったと。「俺のせいじゃないからね!」という一言に会場大爆笑。雷太さんの、この「俺」っていう一人称好きだ。いつかは、本寸法な二人会をぜひ!楽しみにして待つ。

一席目は「噺家と幽霊」。おばけ長屋に引っ越してきた噺家が、幽霊の前で落語を演る珍しい珍かなる噺。化け物使いに味をしめて使いこき倒す隠居(「化け物使い」)と似ている豪胆な精神の噺家。人間味あふれる幽霊を叱ったり、拍手を強制したり。雷太さんのような痩身手長の人がやると、幽霊の姿やアクションが映えるなぁ。柳若さんもきっと似合うだろう。

これは大師匠にあたる先代・助六師匠が芝居のために書いた台本だとか。主人公「噺家」を、その日の客が知ってる噺家に変えたり、でてくる「幽霊」を有名人に変えたりなんだり、アレンジの仕方で1万通りはできる万能ネタと見た。アレンジのし甲斐がある、アレンジ次第で、大爆笑を稼げるネタと見た。もっとクスグリを放り込んで夏の稼ぎネタにして欲しいなぁ。でも、そういうのやらないのかなぁ雷太さんは。

待ってました喜多八師匠。今日は顔色も悪くなく、元気そうだ。良かった良かった。それだけで、うれしい。もう帰ってもいい。いや、だめだ。まだまだこれから。「呑んだら覚えてないのは幸せなことだ、大切なことだ」的な枕から小噺「お日さんの宿~雷弁当~落武者」⇒「七度狐」。師匠の中には、短い流行があるようだ。性格的なモノ?広沢虎造のバージョンの喜多八流「石松三十石船」を気に入って、ずーっとかけてたり。最近は、艶笑落語=破礼(バレ)噺を最初に持ってくるのが流行なのかな。白鳥さんの会以来、破礼噺が増えた気がする。もちろん、大歓迎。

小噺「お日さんの宿」:ある日、お日さまとお月さまと雷さまが三人連れだってお出かけ。その夜は宿に泊りまして、翌朝~というストーリー。雷さまが宿の主人に尋ねる。「お月さん、お日さんはどうした?」 主人「もう、とっくにお立ちになりました」 雷「そうか、月日のタツのは早いもんだ」(あぁ、上手い!) 主人「ときに雷さまはいつお立ちに?」 雷「俺か?俺は夕立だ」。こういうの考えた人ってのを、俺は無条件で尊敬する。賢いってことの証明だから。

小噺「雷弁当」:落雷。そんときに雷が「雷の弁当箱」を忘れて行った。そそっかしい雷がいるもんだ、と蓋を開けて見てみると…というストーリー。弁当の中身はへそがいっぱい、「へその佃煮」。「これがおかずだな。おかずの下には何があるのかな?」とへその佃煮を持ち上げると、雲間から女の雷が顔を出して一言。「おへそから下は見ちゃ、だめよ」。エロ情報満載の現代では生まれない小噺だろうな。プチ・エロ。

小噺「落武者」:この小噺は特に最近、寄席などで使っている模様。手傷(太腿でも手傷?)を負った落武者が雨を凌ぎに古寺に忍び込む。そこに居たのはきれいな若い女。はじめは凛とした武家らしい態度で接していた侍だが、なんと女が誘ってくるもんだから…。すったもんだがあって諦めた落武者。そのうち寝ちゃって朝。目が醒めると女は姿は見当たらず、一本の破れ傘だけが傍らに…というストーリー。「さては昨夜の女、破れ傘の化け物だったか。道理で、させそうで、させない」という見事なサゲ。うわぁ、好きだ。この小噺。喜多八師匠の「仁(にん)」にぴったり。凛とした侍⇒急な角度でデレデレしだす、みたいな、落差のある滑稽な侍を演らせたら喜多八師匠が天下一品、世界一だと思っている。もうおかしいおかしい。笑った笑った。俺に言わせれば師匠は「殿下」なんかじゃない。「殿」なんだよ。「殿様」であり、「(ちょっと高貴な)お侍さん」なんだよ。師匠が「やかんなめ」の侍だったら、俺はお供の者・可内(べくない?べぐない?)になりたい。

「七度狐」。今夜の俺としては小噺3つで充分だったな。満足した。こんな気分の日は初めて。小噺は「小さな噺」と書くが、できる人が話せば「大きな噺(大ネタ)」にもなる。高座の時間密度は尺(長さ)だけではないのだ。いや、美味しかった。この小噺3つ。いまんとこ、ここまで“おもしろかっこいい”のは、俺の中では喜多八師匠だけ。

もしかして、「春雨や雷太」だけに「雷」小噺を思い出してふたっつ掛けてくれたのかな?だとしたらなんとなくうれしいし、師匠の破礼噺は品があっていい。誰よりもいい。無味無臭じゃないし、適度にいやらしく、大人のエロスを感じる。客に委ねるのではなく、どうどうと猥談として投げてくる。誤魔化さないし、もにょもにょしていないし、ちゃんと伝わるし、なにより笑える。客と勝負(コミュニケーション)している感じがいい。すごくいい。

そりゃ、もてるわ。大人のエロスはもてる。やっぱ、かっこいもの、師匠。卑猥、淫猥、猥褻さがそぎ落ちてるのは決して師匠の年齢のせいだけではない。芸(自分・矜持)があって、品があって、色がある。そりゃ、もてるわ。しっかし「破廉恥」って良い言葉だなぁ。

仲入りを挟んで雷太さんは「宿屋の仇討」。俺の大好きな噺のひとつ。ただ、この噺は白酒さんの最高傑作(俺規定)を聴いちゃってるからなぁ。でも、これからの期待伸び代が相当あるわけだし、ますます楽しみな噺家さんの1人には変わりなし。がんばって!雷太さん。これからも独演会、聴きに行きます観に行きます。

と、ここで終わらないのが春雨や雷太独演会の醍醐味?「奴さん」という寄席踊りを魅せてくれました。天井が低い中、脚をプルプル言わせながら。こみちさんのを下北沢で観て以来かな。

いい時間でした。春雨や雷太独演会。次もまた開催してほしい。もちろん、喜多八師匠を招いて。

★マーケティングの視点★
喜多八師匠をはじめ、「巧い!」「面白い!」と言われる名うての噺家さんたち。共通してるのはキャラクターが立っていることだと思う。これは、もう俺の中で完全に腑に落ちた。腹落ちした。俺の落語表理論が一部完成した瞬間と言っても言い過ぎじゃないかも知れないかも知れない。ってくらいの腹落ち感。

きっかけは帰宅後に聴いたマンガ家・小池一夫氏のNHKの番組。前からツイッターフォローしたりして、ある程度は知っていたが、今夜ようやく自分の物に、自分の考えに統合された。すばらしい理論だ。ますます尊敬しちゃう。小池一夫先生。今夜は喜多八師匠に小池一夫師匠に。良い心持ちで一日を終えることができた。