職業柄、家族全員揃って夕飯を食べるのは難しい。
だから、家族全員揃って、確実に飯を食べるなら朝だ。朝ご飯だ。それが我が家だ。
夕飯の方が、かみさんの手が込んだ料理が出てくるが、朝は簡単だ。余りもの、前夜の残りものなどなど。簡単すぎる朝食もあるが、そこに文句は言わない。みんなで喰えるだけありがたい。
どんな粗食・貧食であろうとも、それでも、我が家のコミュニケーションは朝にある。(皿数さえ多ければ、ご馳走だ!という単純思考な俺)
テレビは点けずに、ラジオが流れている。主にTBSの「森本毅郎・スタンバイ!」。
まずは、おかずだが、男三人は均等に分け与えられる。特に兄弟は平等だ。喧嘩防止策。兄は弟に「兄ちゃんは、なんでも美味しいって言うんだ(味がわかってないんだ)」とか「いろんなおかずを口に入れたら、それぞれの味がわからなくなるだろうが」とか言われたりする。兄は「そんなことないよぉ」と言いながら毎朝ご飯をお代わりする。俺の影響か、体重(太ること)を気にする弟はお代わりはしない。
俺たちは飯を喰いながら、よく話す。息子らは前の晩に観たテレビ番組の話を俺にしてくれる。「あの芸人が、こんなことやってて、オオウケだった」とか、そんなの。文化程度が知れる。だが、それを聴いて俺は笑う。俺が笑うと息子たちは、それに気を良くして、もっともっと話をしてくれる。
かみさんがそれに乗ったり、息子と結託して俺を小馬鹿にしたりする(俺は大人なのでカチンときたりはしない。ただ、優しく微笑むのみ)。会話中、俺が言葉を噛むと息子らは次々にはやし立てる。(俺は大人だが、そこは「るせー」とか「ばーろー」などと言い返す)
喰い終わると、男三人は牛乳を飲む。そして最後に全員でヤクルトを飲む。市販の奴。ヤクルトレディさんからしか買えない「ヤクルト400」ではない。
それからは三々五々。出かける準備に取り掛かったり、ゴミの日の朝はゴミを集めたり、着替えたり、歯を磨いたり、「なんで今ごろ言うンだよ!昨日の晩に言えよ、バカヤロー」などという、かみさんのカミナリさんが小さなリビングに響き渡ったりする。そんな朝。
なんてことのない食事と、なんてことのない会話に、なんてことのある豊かさと幸せを感じる。普通に喰える飯と会話があれば、人はたいてい誰だって豊かさと幸せを感じることができるのだ。「何を喰うかより、誰と喰うかだ」とは誰の名言だろうか。
注):食事の美味い不味い・粗食か貧食か・豊かさと幸せの尺度や定義等には個人差があります。
★マーケティングの視点★
俺は「豊かさ」ってなにかね?と黒板五郎のように追求していきたい。「豊かな暮らし」こそ、人類の希望だからだ。
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ザッキー (木曜日, 13 11月 2014 06:16)
凄くほのぼのとした、ブログに「朝から」良い気分になりました。
ありがとうございました。