初笑い2015 入船亭扇辰独演会@テイト

初笑い入船亭扇辰独演会@ミュージックテイト

入船亭扇辰:「道具屋」
-仲入り-
入船亭扇辰:「徂徠豆腐」


大入満員。ミュージックテイト今日が仕事始め。ミュージックテイト。今日が落語聴き始め。俺。

開口一番。枕は年末年始の話。辰まきさんが風邪引いて大掃除休んで師匠が代わりに大掃除頑張った話とか、初席もいいけど落語会もね、な話とか。

で、俺の2015年の落語聴き始め。開幕。

与太郎と兄と父親とその妻と、そして町内までもが「与太郎的」な導入部から、葉唐辛子が入口。小沢一郎のバットも並んでた扇辰版「道具屋」。鉄砲でズドンでサゲ。

仲入り後、高座に上がった師匠。「5席、頭の中に浮かんでるんですよね。何を話そうかな」と言いつつ、新潟の寒さの枕を。すわ(鰍沢か?雪とんか?)と勝手に喜んでいると、寒い日と豆腐の話に。結果、「徂徠豆腐」。(鰍沢か雪とんか、三井の大黒もいいなぁ)と思っていたので正直、ほんのちょっぴりだけがっかり。ほんのちょっ~~~ぴりだけですけどーー。でも大好きな入船亭扇辰の、これまた大好きな噺「徂徠豆腐」ですから。即座に心を整えなおし、完全に聞く体制に。

派手さなどない。実際地味だ。地味な噺だ。地味だが格調高い。格調高いが、偉そうではない。庶民的で、誰をも受け入れてくれる優しい落語。それが「ザ・入船亭扇辰」だ。

「入船亭扇辰」という噺家自体も派手な部類ではない。落語家としての師匠は大好きだが、師匠が自称・道楽でやっているミュージシャンとしての師匠も、師匠の音楽活動には俺の興味は向かない。「三K辰文舎」にも興味はない。興味はないけれども、師匠が演奏する音楽の好みから判断すると、そこからも師匠の了見や想いが見て取れる。

そこにあるのは誠実さだったり、丁寧さだったり、フォークソング的な人間味や温かみだったり、ほんわかした笑いだったりする。

大爆笑をかっさらう「道具屋」を演じる噺家さんはいる。腹を抱えてげらげら笑える噺をかける落語家は少なくない。俺も笑いは大好き、特に大爆笑は大好物だ。そんな俺でも「入船亭扇辰落語」には強く惹かれていく。なぜか。「入船亭扇辰落語」は心のひだひだに沁み入るからだ。人情噺が上手いとか聞くと泣けるとか、そんなつまらない理由ではない。

滑稽な噺でも、人情噺でも、怪談噺でも。「扇辰落語」は心のひだひだに、じわぁ~っと沁みてくるんだよなぁ。上質な鰹節で、しっかりと丁寧に、愛情たっぷりに作られた出汁のようだ。五臓六腑に沁みてくる。美味しい。兎に角、美味しいのだ。可笑しくない訳ではない。可笑しいし、泣けるし、怖いし、美味しい。料理の、特に和食の基本ができている人なのだと思う、「入船亭扇辰」という噺家は。だから、巧いと言われたり、玄人好みだと称されたりするのだろう。軽薄ではない。そういうところと真逆にポジションがある。

扇辰師匠愛が炸裂してしまった。で、肝心のトリネタ、「徂徠豆腐」。

5席の候補中から選んだのは立身出世物語で年始に相応しい御目出度い「徂徠豆腐」。実際、どの5席だったのだろう。いつか聞いて見たい。

落ち着いた雰囲気、端正な口調、繊細な演技力。しんみりと、しかし滑稽に。良い聞き始め。未年(ひつじどし)の扇“辰”落語。師匠“乙”です。乙でした。そしてお疲れ様でした。ありがとうございました。ご馳走様でした。

俺も徂徠のように世に出たいなぁ。出世したいなぁ。あぁぁ、いかんいかん。欲深な気持ちが…。

★マーケティングの視点★
噺家を語るとき。本寸法がどうのとか、落語家としての了見、とか。そんなん以前に人間性だろうといつも思う。人間としての、一個人としての了見。明るさだったり、いやしさだったり、強さだったり、弱さだったり。家元(談志師匠)の「業の肯定」という部分と通じるが。大切なのは「人間味」。大切にしたいのは「人間味」。扇辰師匠の噺を聴くと、大好きな「ひずたけ」の出汁の味を思い出すのは、こうした理由からだ。沁みる。沁みるのだよ。俺も他人の心に沁みるような人間に成りたい。