覚醒剤を使わせない、興味を持たせない、広めないようにするには「恐怖」を用いるしかないように思う。
日頃、医療マーケティング(特に製薬)に携わっていると、「この病気になると怖いから、この薬を飲みましょう。病院に行きましょう」という戦略に触れたり、企画に出会ったりするが、俺は「この手の手法は取ってはいけない」と教え込まれて育ってきた。
「脅かして人を動かしてはいけない」と教わって育ってきた。
脅かす(恫喝・恐怖・不安)ことを、人々に対する動機づけにはしてはいけない。そんな不安に支配されている動機づけは長続きしないから。なぜなら、不安が長続きすることを人は誰も望まないから。人が望むのは幸福な状態だから。
と教わってきた。
薬の先には、健康的な未来が見える。薬は決して悪いものではない。だから、病気以上の「恐怖」だけを強調して、それをテコに薬をPRするのは良くない。
だが、覚醒剤は違う。役に立たない代物だ。人を破壊するだけのもの。
だからこそ、麻薬患者の末路、覚醒剤中毒者の悲惨な状態(狂人化)を映像として、子供たちに見せるべきだと思う。くだらない道徳の勉強よりも、こっちのほうがよっぽど重要だと思う。
ちなみに、自転車やバイク、自動車。こちらは趣味という楽しさもあるが、正しく使わないと危険なツールだ。移動する楽しみ、ドライブの楽しみを教えると同時に、ルールを守らないとどうなるか。どのような迷惑を他人にかけるのかも、悲惨さを伴って教えるべきだと思う。単なる「交通ルール教室」だけじゃ、足りないと思うよ。同じく、ゲームやSNSとの付き合い方もだ。
20年前と社会も暮らしもスタイルも異なる。教育現場も教える内容も、現代に即したものにバージョンアップされてしかるべきだと思う。
落語相対性理論~林家はな平勉強会Vol.13
林家はな平:「たらちね」
林家はな平:「たがや」
林家はな平:「蒟蒻問答」
聴く側の俺のコンディションが、いまひとつだったため、残念。
打ち上げにも参加せずに、早々に帰宅。
小川さんに、ご自分の会の案内もしてもらったのに…。すいませんでした。
カントリーズとはな平さんが出演する次回は、ぜひとも!
雷門小助六・春雨や雷太二人会@LEFKADA新宿
雷門小助六:「八問答」
春雨や雷太:「ねずみ」
雷門小助六:「明烏」
-仲入り-
雷門小助六:「豆や」
春雨や雷太:「春雨宿」
ときどき、こういう日がある。意外とある。行きたい!観たい!聴きたい!という落語会が2つ以上重なる日。選ぶのが困る日。それが今夜5月14日(水)だった。
★庚申塚亭水曜夜席@庚申塚・スタジオフォー/入船亭小辰・三笑亭夢吉・立川らく里・三遊亭橘也
★きらり・松之丞二人会「第三回村井長庵連続読み(全六回)」@テイト
★第5回コイコイ@神楽坂Art salon香音里/瀧川鯉八・瀧川鯉〇
★三遊亭遊雀セレクト落語会「風雅満帆」第13回@道楽亭/ゲスト:春風亭昇也
★れふかだ落語会~雷門小助六・春雨や雷太 二人会~@LEFKADA
なんつ-か、酷くね?この重なり合い状況。もう苦笑を越して、大笑い状況だわ。選ぶ客の身にもなって欲しい…。で、結局、熟慮に熟慮を重ねた結果。「雷門小助六」を選んだのですよ俺は。迷いに迷った挙句、苦渋の選択、断腸の思いで、レフカダへ。
「第1回七人の侍
ネタ下ろし・あんまやってないネタ勉強会@根津・池之端しのぶ亭」で生・小助六さんを聴いて以来、気になっていた逸材。他のどんな落語家とも違う個性。古今亭菊之丞師・古今亭文菊師っぽさを感じさせる艶っぽい物腰と語り口。最近の俺の一押し、噺家さん。そんな小助六師が、従兄弟である雷太さんとの二人会と聞けば、これはもう!んもう!
雷門助六(八代目)の弟子に雷門助六(九代目)と春雨や雷蔵(四代目)の両師匠がいます。その雷門助六(九代目)の弟子が雷門小助六さんで、春雨や雷蔵(四代目)の弟子が雷太さん。つまり二人は、雷門助六(八代目)の孫弟子であり、従妹同士と言うわけ。
で、今夜は八代目助六十八番より「八問答」・「豆や」・「春雨宿」をかけてくれるという会なのであります。こういうコンセプチャルな会大好き!
開口一番は小助六さん。助六(九代目)と雷蔵(四代目)の違いについての枕からの「八問答」。初めての噺。「馬大家」とか「山号寺号」など、この手の噺は落語が落語たる所以的な感じが楽しくていい。
小助六さんは軽くていい。噺家さんらしい噺家さん。気負いも衒いも感じないにこやかなオーラで、(なんとなーく)お客たちを物語の中へひっぱっていく。その手口は決して強引ではなく、優しくしなやかだ。さらりと可笑しく、さらりとさらりと。
飄々としているが、決して天然ボケな感じではなく、理知さを感じさせる。狡猾な感じはしないが、緻密な計算を感じる。そこまで二枚目ではもないのに、色っぽい。歌舞伎役者の艶という感じか。
お次、雷太さんは「ねずみ」。「先輩との会は気楽」といいつつも、緊張している(それほどリラックスしていない?)だろうか。やや硬い印象。雷太さんっぽい、っちゃぁ、ぽいけど。
小助六さんの「明烏」。こんなにとんとんと短くまとまったの「明烏」は初めて聴いた。寄席サイズにも近いくらいの短さではないだろうか。俺が短く感じただけ?
小助六さんは「豆や」。この噺、何度聴いてもサゲが面白くないんだが、そんなことは感じさせない小助六さんの「豆や」。豆屋に挑戦することになった与太郎を客が脅すわけだが、普通なら、それが暴力的で高圧的な嫌な感じになってしまう。そのマイナスを感じさせないのが小助六さん流なのか。
雷太さん「春雨宿」。これも初めて聴いた噺。意外と言ってはなんだが、なんだかとっても雷太さんにぴったり合っていた。この手のオーバーアクションの剽軽な噺、似合うのかも。本格古典の「ねずみ」のときとは比べようもないくらいのソフトさ、柔らかさ、くだけっぷりが、これまで観て来た雷太さんとは全然違っていて、とーーーっても良かったです。
ケメ子(きみ子)に逢いたくなった。「けめづか(君塚)温泉」にも行って見たくなりました。山道を数理歩いてもいい!
来週の「第2回 七人の侍 “ネタ下ろし・あんまやってないネタ勉強会”」では小助六さん、「あくび指南」をかけるそうだが、賭けてもいい。絶対に合ってるし、絶対に可笑しいはずだ。もう想像できちゃうけど、聴きたい!行けないけど。いつか小助六さんの独演会が催されたら、絶対に行くぞ。
我が家で福耳なのは長男だけです。
上から、「夏はこれからだ」/「星のかけらを探しに行こう Again 」/「LOVE & LIVE LETTER」
夏は、これからだ!ビールか、冷や酒か、それが問題だ。
さかいゆう の「つつみ込むように・・・」。男性ボーカルならではのメロウさと、包まれるような優しさがあるよね。本家・MISIAのより丸くて優しい。こっちの方が“包み込まれ感”があるなぁ。
酒田第一中学校時代。確か、2年生かなぁ。いや、3年生だったかもしれない。運動会(体育祭)の練習をしてたんだ。
まじめで、すれてない、まっすぐな正確だった俺は、リレーの練習でも手を抜かず、「うぉぉぉ」ってな感じで、猛烈に走って、とばして練習してた。
そしたらさ、同級生の川越と日坂がそれを見ててさ、「ひゅーひゅー!はりきってるねー」とか「よ!燃える男!」とか、冷やかしたわけよ。
純朴で照れ屋な俺はさ、それはもう、なんだかすっごく恥ずかしくなっちゃって、(あぁ、なんか全力で走るのって、ちょっと恥ずかしいことかも。みんなも手を抜いてるのかな)なんて思っちゃったわけよ。
これは、思春期にはありがちな、何も特別な経験じゃないと思う。誰だって、多かれ少なかれ、同級生やクラスメートに冷やかされ、真面目にやってる=ちょっとかっこわるい・照れくさい って感情は抱くと思う。「クール」って単語が良い意味で使われるように。
俺も例外ではなかった。以来、ちょっと斜に構えて、要するに、ひねくれはじめた。大袈裟に言えば、まっすぐに生きなくなった。燃える男=カッコ悪い、クールな男=かっこいいの図式が生まれてしまった。(リクルート時代、平さんに「たくちゃん、まっすぐ生きろ!」なんて注意されるほどの、ひねくれ人間だったことも、いまでは良い思い出)
んで、結局、何が言いたいかって言うとね。
「全力で走れ(生きろ)!それは決して恥ずかしいことじゃない」
昨日、お江戸日本橋亭(落語会場)そばにある「コレド日本橋」と「コレド室町」に。
初めて話題の「茅乃舎(かやのや)」に。
長蛇のレジの列にもめげずに並んで購入。「茅乃舎(かやのや)のだし」。
で、今夜。
買うともらえる「茅乃舎レシピ本」を基に、たこ焼きを焼いた。
たこ焼き、焼けた。美味かった。味が濃厚で。
次から「通販サイト」で買い求めようかな。
ゴールデンウィーク最終日。
次男と友達が、「もう一度、多摩川に行きたい」というので、寒いのに再び。
行ったけど、ガサガサしても、そんなにハネない釣果。
寒いし、小雨も降ってきたので、早々に退散。
そんな、ゴールデンウィーク最終日。
明日からの仕事に向けて、いろいろと考えようと思っていたのに、できなかった。
思うようにいかないのが人生ですなぁ。
今日から5月。もう5月。
年男である今年を、人生最後のターニングポイント。と考えている俺。
5月。5月ですよ。
新しいステージに踏み出せるか、否か。
兎に角、5月になったのです。
さ、俺。どうするよ?俺。
覚悟はあるのかよ、俺。
先日
人生楽しく行こうよ!人生楽しもうよ!死ぬ時、死ぬ間際、「いい人生だった!悔いないな~」っと、生き抜いた感で締めるのが目標
という言葉を聞いた時、(すごいなこの人。すごい覚悟で生きてるな)と衝撃を受けた。
俺もいい歳だからな。生き抜こう。全力で。