談死。談笑の士

俺も「談志が死んだ」という回文を使いたかったのですが、あまりにも既出すぎなので自重しておきます。

お笑い好きなので落語もその範疇。もっとアクティブな人間だったら(あるいは酒田や下高井戸に寄席があったら)どんどん通っていたかもしれません。

落語も落語家も好きですが、なーーーんとなく落語ファンの人たちは好きになれません。あくまでもなんとなくです。それだけ彼ら彼女らが落語愛が強いということなのでしょうし、どんなジャンルにも同じような人種はいるのだろうと思いますが、身内感というか俺俺感というか、押しが強いのです。同好の士として仲間を迎え入れてくれる度量はあるのでしょうが、彼ら彼女らの“圧”がちょっと…と感じてしまうのです。

俺は自分ひとりで落語を聴いて楽しめる派(人見知り派・コミュニーション下手派とも言う)で、誰か他のファンとつながりたいとも特に思いませんし、誰かにとくとくと「落語というものはー」と語りたい派でもありません。

一人を寂しいと感じるときもありますが、群れるのはもっと寂しく感じてしまい苦手です。

めんどくさいからついついテレビやDVDで済ませてしまいますが、映画や音楽・演劇など他のエンターテイメントと同じで、落語も生(ライブ)が一番です。臨場感はリアルタイムの中にしか存在しないからです。

来年は、今年以上に寄席に行って落語を楽しみたいなぁと、談志師匠(談志さんと書くべきか、家元と書くべきか迷いますが)の逝去につけて感じている日々です。

 

人生、成り行き。