燃える男

酒田第一中学校時代。確か、2年生かなぁ。いや、3年生だったかもしれない。運動会(体育祭)の練習をしてたんだ。

 

まじめで、すれてない、まっすぐな正確だった俺は、リレーの練習でも手を抜かず、「うぉぉぉ」ってな感じで、猛烈に走って、とばして練習してた。

 

そしたらさ、同級生の川越と日坂がそれを見ててさ、「ひゅーひゅー!はりきってるねー」とか「よ!燃える男!」とか、冷やかしたわけよ。

 

純朴で照れ屋な俺はさ、それはもう、なんだかすっごく恥ずかしくなっちゃって、(あぁ、なんか全力で走るのって、ちょっと恥ずかしいことかも。みんなも手を抜いてるのかな)なんて思っちゃったわけよ。

 

これは、思春期にはありがちな、何も特別な経験じゃないと思う。誰だって、多かれ少なかれ、同級生やクラスメートに冷やかされ、真面目にやってる=ちょっとかっこわるい・照れくさい って感情は抱くと思う。「クール」って単語が良い意味で使われるように。

 

俺も例外ではなかった。以来、ちょっと斜に構えて、要するに、ひねくれはじめた。大袈裟に言えば、まっすぐに生きなくなった。燃える男=カッコ悪い、クールな男=かっこいいの図式が生まれてしまった。(リクルート時代、平さんに「たくちゃん、まっすぐ生きろ!」なんて注意されるほどの、ひねくれ人間だったことも、いまでは良い思い出)

 

んで、結局、何が言いたいかって言うとね。

 

「全力で走れ(生きろ)!それは決して恥ずかしいことじゃない」