覚醒剤と恐怖と啓発活動と

覚醒剤を使わせない、興味を持たせない、広めないようにするには「恐怖」を用いるしかないように思う。

 

日頃、医療マーケティング(特に製薬)に携わっていると、「この病気になると怖いから、この薬を飲みましょう。病院に行きましょう」という戦略に触れたり、企画に出会ったりするが、俺は「この手の手法は取ってはいけない」と教え込まれて育ってきた。

 

「脅かして人を動かしてはいけない」と教わって育ってきた。

 

脅かす(恫喝・恐怖・不安)ことを、人々に対する動機づけにはしてはいけない。そんな不安に支配されている動機づけは長続きしないから。なぜなら、不安が長続きすることを人は誰も望まないから。人が望むのは幸福な状態だから。

 

と教わってきた。

 

薬の先には、健康的な未来が見える。薬は決して悪いものではない。だから、病気以上の「恐怖」だけを強調して、それをテコに薬をPRするのは良くない。

 

だが、覚醒剤は違う。役に立たない代物だ。人を破壊するだけのもの。

 

だからこそ、麻薬患者の末路、覚醒剤中毒者の悲惨な状態(狂人化)を映像として、子供たちに見せるべきだと思う。くだらない道徳の勉強よりも、こっちのほうがよっぽど重要だと思う。

 

ちなみに、自転車やバイク、自動車。こちらは趣味という楽しさもあるが、正しく使わないと危険なツールだ。移動する楽しみ、ドライブの楽しみを教えると同時に、ルールを守らないとどうなるか。どのような迷惑を他人にかけるのかも、悲惨さを伴って教えるべきだと思う。単なる「交通ルール教室」だけじゃ、足りないと思うよ。同じく、ゲームやSNSとの付き合い方もだ。

 

20年前と社会も暮らしもスタイルも異なる。教育現場も教える内容も、現代に即したものにバージョンアップされてしかるべきだと思う。